皆様いつもこのブログをご覧いただきありがとうございます。
僕は元々無宗教で初詣も毎年行くわけでもなく(無宗教でも初詣に行く人はいっぱいいる…)、神社や寺によく参拝に行くわけでもないのですが、去年から初詣も含め特定の神社に通うようになりました。
それは大田区は中央6丁目にある太田神社です。
なぜ通うようになったかというと、理由は非常に単純で、たまたま太田神社に初詣に行った後すぐに出世したからです笑笑。
去年はそれ以外嫌な事が多かったのですが、仕事運は今までの人生の中で一番上がってきているように感じております。
給料は泣ける程安いのですが、やりがいを感じております。ただ人に嫌われることが多い仕事なので、メンタル面でちょっと鈍感な人の方が向いているかもしれません笑笑。
僕もこの仕事を始めた頃はちょっとしたことで傷ついたり、嫌われたくないからいい人でいようと思っておりましたが、仕事に慣れたからなのかそういったことを全く感じなくなりました笑笑。
うつ病が治るきっかけって様々なのでしょうけど、僕の場合は嫌われる勇気を持ったことが一番大きいかと思っております。性格が根本的に変わりました笑笑。
みんなが言いたくないことを平気で言えるようになりました。その結果、真の仕事のパートナーや真の友人、誠実に正直に話せるクライアント様に出会うことができました。
勿論他の人からその何倍も嫌われているとは思いますが、僕の考え方のひとつとして100人中99人に嫌われてもいいから1人の人に溺愛されたいと思っております笑笑。1人に溺愛されたら99人の敵なんか目じゃないくらい強いと感じますね笑笑。
あとは仕事場でかつらを着けるようになってから、今まで僕に当たってきた人が優しくなったり、挨拶してこなかった人が急に挨拶するようになったりと確実に変化があると実感しております笑笑。
女性からは相変わらず全く何もない(不気味なんだろうね笑)ですが、男性からは上々の評価をいただいております。
よく話をする人にはカミングアウトをしましたからね~笑笑。カミングアウトした勇気を褒め称えてくれる人もおりました。髪がない人間に突然髪が生えて(正しくは盛った!)きたらビックリするでしょうね笑。というか僕だと未だに気づいていない人もたくさんおりますね笑笑。
馬鹿にされても何でもいいから俺がかつらだということを、職場だろうが近所だろうが色んな人に広めてほしいんだけどね笑笑。やくみつる超えしたいんでね笑笑笑。
3年間今の職場でスキンヘッドでやってきて、ある日突然かつらを被ったこの勇気と情熱、そしてこれからの男の生き様を是非見届けてほしいもんだよ☆
また前置きが長くなりましたが、太田神社の話に戻ります…。
太田神社は弓の名手で有名な那須与一ゆかりの神社で、特に合格祈願が多いそうです。
いつも僕が参拝に訪れた時は人が少なく、大抵ここに立ち止まりしばらく眺めているのですが、気持ちが安らぎますね♪
ここは昔市野倉と呼ばれた地域で、現在だと大田区中央4~7丁目、池上1丁目、南馬込6丁目周辺の地域を指すそうです。池上通り沿いにある市野倉交番や中央8丁目にある大森消防署市野倉出張所の他、町会名としても名前が残っております。
お守りにも市野倉と書いておりますね。
創建された年はわかりませんが、昔八幡社として創建し「家運八幡宮」と称されていたことから、市野倉周辺の人達の家運隆昌の鎮守として崇敬を集めていたそうです。
市野倉周辺の人々は特に、合格祈願・学業成就祈願、勝利祈願ばかりではなく、家内安全、厄除けでも訪れる方もいらっしゃるそうです。市野倉の守り神ということで鳥居の前でお辞儀をしている人も結構お見掛けしました。
なんで那須与一を守本尊とされているかというと、境内にある八幡大菩薩像が古くなったので、ある塗師(漆職人ですかね)に住職が塗り替えを依頼されたそうです。
塗師が作業を始めだした途端、急に気分が悪くなった為、八幡大菩薩像を寺に返還すると病が治ったそうです。 住職が不思議に思って像を調べると、背部に「那須與市宗高守本尊」と記されていたそうです。
「塗師よ、この与一に触るとはいい度胸してんなー」って与一さんは圧をかけたかったんですかね~笑笑。
昔のことだから謎が多いですね~。以前は長勝寺(現在も太田神社のすぐ横にあります)というお寺の一部だったそうで、明治初年の神仏分離により長勝寺から独立して太田神社と改称したそうです。
境内にある稲荷神社です。
太田神社って名前も不明なのですが、当時(16世紀中頃、戦国、安土桃山時代くらい)この辺り(六郷、市野倉、蒲田?)の領主であった太田新六郎康資って武将が氏神だったからじゃないかという説があるそうです。蒲田、六郷って言ったら僕の地元の方までこの武将の領土だったんですかね…?
それなら蒲田在住の僕が参拝に行っても問題ないですね、というか誰が行っても宗教の問題がないのであれば問題ないんですけどね笑笑。
寺社仏閣については初心者ですのでこれくらいで勘弁してください…。
那須与一は僕が小学生の頃にやっていた、ファイナルファンタジーというゲームに出てくる武器の「与一の弓」で知りました。
与一は平安時代末期から鎌倉時代にかけての武将・御家人で、一番有名なエピソードが、源平合戦が描かれている『平家物語』の中で、屋島の戦いの際に源氏方の弓の名手である那須与一が、平家の小舟に掲げられた扇の的を射抜くという話ですね。
それでかぁ~!!那須与一の故事にあやかって一願必中!願えば叶わぬことなしという想いがあるのですね~。勝負事に強い信仰があるのですね~!
そりゃぁ~、俺も出世するわな~笑笑。
コメント